論考

2026年8月14日
FURUDONO Koichi

私とは何者か

1. 「好き嫌いの選択」こそが、その瞬間の世界を作る

人間以外の察知を知ることはできなくても、いま自分が何かを「好き」か「嫌い」かという感覚だけは、この世界の誰にも否定できない独自の出来事です。

その都度の選択によって欲を満たしていくプロセス自体が、私という「個の宇宙」の輪郭を形作っています。

正解も不正解もない世界だからこそ、自分の好き嫌いだけが唯一の羅針盤になります。

2. いつか「察知できない出来事」へ還る

私たちの体を作る原子や素粒子などといわれるものは、気体の隙間やこの世界の場に漂っている「何もない空間のゆらぎ」と名付けたものでした。

それがたまたま集まって「人間という形」をとり、好き嫌いを感じる出来事と遭遇しているにすぎません。

命が終わるとき、その時集まっていた構成要素は再びバラバラになり、人間として存在する間には決して「察知できない」宇宙と名付けた世界へと紛れていきます。

3. 「二度と無い」という宇宙で生じる無数の出来事に紛れる

「いま、変わり続けながら、その都度の選択をしている私」という出来事は二度と繰り返されません。

全体としては崩壊しているかもしれない無意味なこの世界の中で、その「一回きりのバグ」のような個の存在のきらめきだけが、切ないほどにリアルな事実です。

まとめ

「超えられない枠組みは考えない。都度の好き嫌いで欲を満たし、いずれ消え去るだけ」という生き方は、冷徹な虚無主義(ニヒリズム)のようでいて、実は私自身の存在を100%私のものとして生きるための、最も力強い決意表明なのです。

宇宙とかこの世界とかの仕組みを理解する必要など最初からなく、私はただ、この二度とない「私という出来事」を、自分の好む形で使い切ればよいのだと思います。